阿原山 |
岩手県江刺市・大東町
【写真1】:レンゲツツジ |
2001年6月2日
阿原山はツツジの名所と言われているがシーズン中に訪れたことがないので,今回は時期をねらって出かけることにした。また,文献※1では山頂は賢治詩碑のある場所と記されているが地形図上では賢治詩碑より東方のさらに標高が高い位置に阿原山の三角点が記載されている。この点も確かめたいと思った。
阿原山は山頂付近まで車道があり車で行くのが当然の山のようである。小生のように徒歩のハイカーは山菜採りと思われるに違いない。新幹線水沢江刺駅から大船渡行き特急バスに乗車,舛和バス停で下車する。ここから南に向かって車道を進む。千刈田から深持経由で車道を歩くとかなり遠回りなので戸隠神社経由で近道をする。 戸隠神社は由緒ある神社らしいので立ち寄ることにした。急な石段(385段)を登っていく。久し振りの運動なのですぐ汗がでて息が切れる。社殿の前に由緒書きのプリントが置いてあったのでそれをいただいてきた。
戸隠神社とは天照大神の天岩戸伝説を起源としている。岩戸を開いた力技の神様として信仰されている。長野県戸隠神社の末社。坂上田村麻呂が蝦夷征討に際し,信濃から移住した部下が戦勝祈願のため創建。源頼義・義家親子が対安倍頼時の戦勝祈願の鎮護神として立願したと伝えられている。社殿の左側に樹齢千年の杉の巨木が祀られていた。 神社の石段を下り再び車道を進む。川に架かる橋を渡ると道は右にカーブするがそのカーブ地点に南に向かう舗装道の上り坂が分岐する。この舗装道を上ってしばらくゆくと民家があって行き止まりとなる。道に迷ったか,と思ったが舗装道の東側の一段高いところに細い未舗装の道があり進んでいくと森の中を抜け阿原山に至る車道に出た。
その先はひたすら車道を歩く。中腹まで来ると伊手盆地が一望に見渡せ気持ちが良くなる。牧場近くになると道のあちこちに車を停め山菜採りをしている方を見かけるようになる。金命水の分岐点を過ぎ15分程で牧場の中に入る。牧場の斜面一帯にオレンジ色のレンゲツツジが咲いている。道路から牧場内には柵があるので勝手に中に入れないようになっている。ツツジを眺めながら山頂に至る道を見落とさないよう注意して歩く。
車道が西に急カーブする地点に東に向かう未舗装の林道が分岐している。地形図で確認するとこの分岐点から西にはすぐ賢治詩碑があり,東に向かう林道は阿原山の山頂へ稜線伝いに至るようである。迷うことなく山頂に向かう。帰りのバスの時刻を考えると時間的な余裕がなさそうなのが気になる。林道は主尾根の南側を横断している。雑木の中の道である。途中一ヶ所牧場の入口があり後で調べるとそこから500mほど牧場の中を歩くと山頂に至るとのこと。しかし当日は放牧中の牛が目の前にいたので他に道がないかと探しながら林道を進む。進むうちに阿原山のピークは遥か後方になりどうやら道を間違えたようだ。引き返すのはかなりの距離なのでそのまま林道を進む。 再び牧場地帯になる。こちらの牧場は全く人気が無く静かである。ここで本日初めて休憩とした。地図を見ると天狗岩山の近くまで来ているようだ。持参した昭和49年の地形図の林道は古くてあてにならないことに気づく。ここから南西の方角に蓬莱山がどっしりと構えているのが見える。 T字路に突き当たる。自信がないが右が大東町方面・左が伊手方面のようである。伊手方面に下る。順調に高度を下げるがなかなか麓に着かない。阿原山麓には縦横に林道が設置されていて地図とコンパスがないと迷いやすいと思った。
やっと麓の水田に出る。近くに県交通の久保バス停がありわずか10分前に出発したようだ。しかし最終便には間に合ったのでほっとする。伊手盆地を西から東に横断し岩明でバスに乗車。江刺バスセンターで水沢行きに乗換し帰宅した。 |
阿原山 |
岩手県江刺市・大東町
【写真】:山頂にて |
2003年11月19日
文献※1では阿原山頂は賢治詩碑のある場所と記されているが地形図上では賢治詩碑より東方のさらに標高が高い位置に阿原山の三角点が記載されている。前回この点を確認できなかったので再調査に出かけた。 参考文献
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