雨請石山(あまごいしやま)
岩手県奥州市前沢区
標高437.1m
東磐交通バス前沢線大谷地下車、または岩手県交通中野生母線終点生母下車
【写真】雨請石
2011年4月2日
 900 町屋敷バス停
 916 生母バス停
 935 伝・母禮屋敷跡
 957 大谷地バス停・永宝清水
1023 登山口
1040 雨請石
1044〜1135 山頂三角点〜雨請石で休憩
1148 登山口
1231 伝・母禮屋敷跡
1240 前野清水
1330〜1335 生母バス停
1349 北野バス停

 東日本大震災後3週間が過ぎたが依然として余震が続いている。小生の住む岩手県内陸南部では毎日2〜3度震度4クラスの激しい揺れが発生している。4〜5月に予定されていたイベントや行事は全て中止となり家の中に閉じこもる事が多くなった。この状況の中、山歩きのような野外レジャーは控えるべきなのだが、一方、自粛ムードが続くと経済活動が停滞し結果として復興にも悪影響が及ぶとも言われている。自分ができることからやりましょう等々マスコミが盛んに宣伝しており、スポーツ選手やミュージシャンなどが支援活動をしているようだが、凡人の小生には何ができるのか。自問自答を繰り返しても答えは出ない。やっと世間も落ち着いてきたようなので今年初めての山歩きを計画した。いくらか気分転換になればいいのだが。
 行き先は雨請石山。市内にある山だ。万が一トラブルがあっても徒歩で自宅まで帰ってこれる距離にある。近くの山だが小生にとって初めて登る山なので文献※1や地形図で予習をした。当日の朝、町内のコンビニに食料調達に出かけた。しかし地震の影響でまだ閉店状態だった。少し離れたコンビニ(セブンイレブン、ここは地震直後から開店していた)まで歩く。店内の棚の半分は空っぽだ。あと残り3個となっていたおにぎりのうち2個を調達しコンビニ前の町屋敷バス停でバスを待つ。
 終点の生母で下車。久々にここまで訪れたが県道14号及び106号のバイパスが開通し様変わりを感じる。旧県道106号の商店や住宅が密集する通りを抜け106号バイパスと合流。少し坂道を上ると台地の上に出る。ここに旧東街道の標柱がある。一旦下った後県道は上木川に沿った水田地帯を緩やかに上る。県道北面に「伝・母禮屋敷跡」と記された標柱があった。母禮(モレ)は阿弖流為(アテルイ)と共にこの地方の英雄と考えられている人物である。上木川に架かる橋を渡った所から県道は急な上りになる。水田から険しい峡谷状の地形に変わった。やがて少し開けた所で南に分岐する道があり入口に大谷地バス停と雨請石山を示す道標が立っていた。地図と勘を頼りの山歩きを想定していたが意外にも案内がしっかりしているようで安心した。近くに小さな神社があったので寄ってみると永宝清水という清水が湧いている。案内板によると雨請石山を水源とするとのこと。カップが置いてあったので飲んでみると生臭くなく口当たりもまろやか(甘口)でおいしい水だった。
 大谷地集落に入る。道は舗装されている。途中、雨請石山を示す道標に従い右折し林道に入る。この林道は道脇に立っている標柱によると「作業道ブナ線」という名称がある。しかしブナは見当たらず一帯はスギ植林地である。林道は等高線をなぞるように設置されているので起伏が無く歩きやすい。ハシバミの花穂が垂れている。
 登山口にも道標があった。付近は草原が広がっているが駐車スペースなのだろう。登山口からすぐに尾根に取り付きアカマツ・カラマツ林を抜ける。送電線の鉄塔を過ぎると再びスギ植林地に変わる。所々登山道が雪で埋もれている箇所があった。前方に高さ10mほどの大岩が見えるがそれが雨請石なのだろう。大岩には雨請石の表示は見当たらないが、東面・西面の樹木が伐採整備され展望が良好なことを考えると雨請石に間違いなさそうだ。
 山頂の三角点を目指す。雨請石から先の道は無い。尾根を境にして東側がスギ植林地、西側がクリ主体の雑木になっている。その境界線に沿って登っていくと山域のほほ最高標高点に三角点の標石が見つかった。後日その三角点を撮った写真を見たらすぐ脇のアカマツの幹に熊の仕業らしい鋭い数条の生々しい爪痕があり驚いた。展望は無いので雨請石まで戻り昼食休憩とした。雨請石の西面は前沢市街の展望が良いが冷たい風が吹き付ける。風よけのため雨請石の東面に腰を降ろし休憩した。ただし先日の大地震の影響や余震の恐怖があるので岩の直下は避けるようにした。
 帰路は「作業道ブナ線」を引き返し大谷地集落の途中から上木集落を抜け県道106号に合流。「伝・母禮屋敷跡」近くから前野清水に寄り道した。案内板によると前野清水も雨請石山を源流とする清水で過去の干ばつの時は近くの集落の命を救った水とのことである。東屋やベンチは新しいものに整備中だった。この清水もおいしい水だった。小生は生水を飲むと腹痛や下痢になることが多いが永宝清水・前野清水ともその症状がなかった。近くの草原にセリバオウレン、また農家の庭先にはフクジュソウが咲く。
 前野集落から南在集落へ進む。南在集落内は道路工事で通行止めが多くそれを避けるように適当に歩いていると耕雲院という大きな寺の前に出た。寺の由緒書きを読んでみると山門は300年前の建造、門前を上木川が流れ永宝清水・前野清水などの豊かな水源に恵まれていることから沢の寺と呼ばれているとのこと。上木川沿いの道を下っていくとマエサワクジラ発見地、西舘千手観音(敷地内の石碑は地震のため転倒していた)と見どころがあって生母地区の歴史や文化の勉強になった。
 生母バス停からバスに乗車、自宅近くの北野バス停で下車。わずか15分のバス旅で山歩きから日常の生活圏に戻ってしまったのには驚いた。改めて自宅から双眼鏡で雨請石山を確認すると束稲山の左肩にある山だったことに初めて気づいた次第である。

参考文献
※1「再発見 胆江地方から見える山々」及川慶志著 胆江日々新聞社2000年4月発行

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