経塚山、駒形山
岩手県奥州市前沢区、平泉町
標高519m, 430m
JR前沢駅またはJR平泉駅からタクシー
【写真】西行桜の森展望台からの眺望
2011年5月3日
 826 JR水沢
 835 JR前沢
 845 赤生津郵便局
 905 月山神社里宮
 930 キャンプ場
1015〜1042 経塚山
1115 駒形山
1150 名石二本立石
1200 無量我丘
1335 長島郵便局
1355 平泉温泉
参加者3名(小生含む)

 元々今回の山歩きは4月9日に実施の予定だった。しかしその2日前の4月7日、東日本大震災の余震と想定される震度6強の地震が発生し中止となった。この余震で経塚山のある前沢区では本震以上の被害があった。今年初めての団体登山として足慣らしと親睦を兼ねた計画だったので何とか成立させたい。ようやく地震の影響が収まり掛けたので5月の連休の合間に実施となった。
 JR前沢駅からタクシーに乗車。乗務員によると前沢市街地の住宅には倒壊の危険のため立入禁止の赤紙が貼られた家が相当あるとのこと。車窓から眺めた範囲でも瓦が崩れている家が多い。県道14号赤生津郵便局から50mほど北に東に分岐する道がある。道の両側に立つ人の背丈ほどの石柱が目印となる。ここでタクシーを降車した(前沢タクシー1140円)。まずは月山神社里宮を目指し水田が広がる緩やかな坂道を上っていく。里宮で道中の安全を祈願してから隣接する県道237号を進む。二子、峠集落方面の十字路を過ぎて約100m地点に右手斜め前方に分岐する未舗装の細道がある。この道は「東北自然歩道 新・奥の細道 経塚山へのみち」である。道標が立っているが枝葉に隠れているのと風化による傷みで見つけにくい。アカマツ林の中、所々に松食い虫の処理木がある。間もなく月山キャンプ場に到着した。
 平泉方面の展望を楽しんだ後、経塚山への登りに取りかかる。最初は丸太で組まれた階段の一直線の登りである。沿道にカタクリ、タチツボスミレが咲く。ニリンソウの多くはつぼみ。イタヤカエデ、ケヤキ、オオバギボウシの新緑の中、胎内岩付近まで登るとスミレサイシン、ニリンソウ、アズマイチゲが見頃だった。頭上の岩に注意しながら胎内岩をくぐり抜け山頂広場に到達した。一帯はツツジの群生地だがまだ花期には早い。経塚山山頂に着く。ここが本日一番の展望だろう。眼下の北上川、白鳥舘遺跡、胆沢扇状地、残雪を抱いた焼石連峰。源義経が馬上訓練したと伝えられる岩の上で軽食休憩とした。
 経塚山〜駒形山の間は以前小生が歩いたときは刈払いがされていなくタラやキイチゴのトゲに悩まされながら進んだ記憶がある。しかし今回は普通の登山道に整備され難なく歩くことができた。踏み固められた道の状態から予想すると通行者も多そうだ。路上に大量のアブラチャンの花が落ちている。時期柄、地震や原発の話を交わしているうちに駒形山に到達した。今冬の大雪か地震のせいか不明だが山頂にある展望台に上がる階段は崩壊していた。
 駒形山山頂直下の大文字焼きの場所を見学した後、稜線上に南下する。右手に広がる緩斜面にカタクリが咲く。オオヤマザクラもちょうど見頃だ。残念なことに昨日の強風で倒された満開状態のサクラがあった。沿道はコクサギが多い。途中、名石二本立石に寄った。名石の面影は無く大岩が草地広場に崩落していて地震の影響の大きさを物語っていた。恐らく大岩は広場北面の崖上にあったのだろう。その後順調に下山し西行桜の森の木工芸館遊鵬の上方にある東屋(無量我丘)で昼食休憩とした。眼下の公園は桜が満開で訪れる行楽客も多い。
 本日の下山予定地は長島小学校である。遊鵬からそのまま下れば良かったのだが現地の案内板の地図では大文字キャンプ場経由の方が近道のように記されている。そこで遊鵬から大文字キャンプ場に向かったが結局大きく迂回したことになった。キャンプ場には誰一人いないがスピーカーから緑を大切にといった趣旨の音声が1分間隔くらいで流れる。こちらにも見事な桜並木があるが人気度が低いようで惜しい。このサクラにメジロ(恐らく)が群がって密を吸っている。
 長島小学校付近の集落を抜ける道路は至るところに亀裂が走り地震による被害が大きい。長島郵便局まで下って本日の山歩きを終了とした。タクシーを呼ぶ間、同行者は知人経営の近くの焼鳥屋に寄っていた(店は閉店中)。長島郵便局→平泉温泉悠久の湯はタクシーで移動(一関タクシー1300円)。さっぱりした後、中尊寺金色堂見学、平泉駅前の居酒屋で慰労会を開催した。その4日後、平泉が世界遺産として登録勧告されたとのニュースがあり小生はよしやったと喜んだ。

参考文献
※1「東北自然歩道 新・奥の細道 経塚山へのみち

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