城山

岩手県紫波町
標高180m
JR東北本線紫波中央駅

【写真】御殿跡・愛宕神社

2007年6月3日
1045 JR水沢
1131 JR紫波中央
1200 城山公園
1624 JR紫波中央
1713 JR水沢

 1:25,000地形図を眺めながら近場で手頃な山はないかと探していると紫波町日詰市街地北端にある城山が目に留まった。山名から城跡で歴史がありそう、標高は低いがすぐ東に北上川が流れ景色がよさそう、などと期待感は膨らんでくる。また城山入口付近にある国指定天然記念物の逆カシワにも寄ってみたい。
 JR紫波中央駅で下車。駅前広場を北に進み右折(東に進む)。この付近の街路樹はムクゲである。線路下のガードをくぐり600mで国道4号線交差点に出る。4号線を北上する。しばらく進むと左手に勝源院という寺がある。境内に入り天然記念物の逆カシワを探そうとしたが黒のスーツ姿の男性が参道の石畳に三脚を立て写真撮影をしている。かなりじっくりと構図や光線を考えているらしく小生がいると邪魔になるようなので帰りに寄ることにした。
 近くの信号機のある交差点で4号線を横断し城山に向かう。緩やかな坂道を上っていくと城山公園の入口である。「紫波町指定文化財史跡、清和源氏足利流斯波氏発祥地、高水寺城跡」と記された案内板が立っている。車道は直進するが左手に階段があり遊歩道があるのでそちらに入ってみた。公園内はモミジとサクラ(県内でも有数の桜の名所である)が多い。ニシキギ、ガマズミの花が咲いている。山頂は広い台地になっていて御殿跡と呼ばれている。北端に愛宕神社がある。以下は本公園の説明板の内容です。

城山公園
 標高180mの独立丘に立地したこの高地は、中世斯波氏の居地であった。斯波氏は足利氏の有力な分族であるがこの地を領知するにいたった経緯や築城の時期については定かではない。それが南北朝対立の時を迎えると、にわかに日本史の表舞台に登場するようになった。すなわち足利尊氏によって奥州管領に任ぜられた斯波家長はこの城を本拠とし奥州における北朝方の重鎮として活躍しているのである。
 次いで室町時代になると紫波郡一円の領主として地歩を確立しただけでなく、一時は南岩手から雫石方面へも勢力を伸張するほどであった。しかし、三戸南部氏との抗争が激しくなるにつれて次第に衰えをみせ、ついにはその攻略に屈して没落する運命となった。時に天正16年(1588)8月のことである。高水寺城を占領した南部氏は城名を郡山城と改称して城代を配したが、寛文7年(1667)に至って城代制は廃止され、城も破却された。

 御殿跡の南側一段低い場所に池を配した庭園がある。その一画に名誉町民須川長之助の碑がある。須川長之助は植物学者の助手として日本の山野を駆けめぐって標本を採集した。その功績により植物の学名としてtschonoskiiと付けられているものがある。碑の周囲にその植物が植えられている。自宅に戻って図鑑を調べてみるとまさしくtschonoskiiとある。身近な植物に日本人の学名が付けられていることを知った。

名誉町民須川長之助の功績を称えた植物(○印は碑の周囲に確認できたもの)
1.シロバナエンレイソウ
2.イヌシデ ○
3.シナノショウマ
4.オオバメギ
5.オオズミ
6.ニッコウサクラ ○
7.ミネカエデ ○
8.コメツツジ ○
9.ホソバハナヒリノキ ○
10.ミヤマイボタ
11.オオヒョウタンボク
12.ウサギキク

 下山は長之助の碑から南に続く小道を下った。この小道は地形図上では破線で記されている。サワフタギ、ミツバウツギ、カラコギカエデが咲いている。途中右手に崖がありその下は池(水たまり?)になっている。
 麓の集落を抜け国道4号を歩き再び勝源院を訪れる。逆カシワは本堂の裏側にあった。根本で大きく4つの幹に分かれそれらが地を這うように伸びている。その長さは本堂の建物の幅に匹敵する。逆カシワの「逆」の意味は土中の根のように地を這う枝振りのためとのこと。
 その後、国道沿いのショッピングセンターで買い物をし電車で帰路についた。


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