ロゴ 東北自然歩道 新・奥の細道 宮城11

菜の花と潮騒のみち

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● はじめに
 浦戸諸島の三つの島を巡るコースです。

● 調査日
2016年7月24日(桂島、寒風沢島)
2017年11月4日(野々島、寒風沢島)

● コース概略図
公式ホームページを参照ください。

(起点)桂島桟橋→石浜桟橋→野々島桟橋→千代崎展望台→寒風沢桟橋→砲台場跡→寒風沢桟橋(終点) 計9.8km

● 交通アクセス
 JR仙石線本塩釜駅から徒歩でマリンゲート塩釜へ。松島航路ではなく塩竈市営汽船の券売機で乗船券を購入する。出発30分前から乗船ができる。乗船場所は桟橋の東端(マリンゲートの乗船口からは最も遠い)。一方駐車場からは最も近いので常連客は駐車場から直接乗船している。

● コースを歩いて
 JR本塩釜駅からイオンショッピングセンターに沿って北に進む。途中から歩道橋に上る。この歩道橋はそのままマリンゲート塩釜の二階に直結している。あいにく早朝のため二階の入口は閉鎖されていたので歩道橋を下り一階の入口から建物の中に入った。

image_6 【写真1】歩道橋とマリンゲート塩釜

 券売機で石浜までの市営汽船の乗船券を購入した。自然歩道のモデルコースは桂島→石浜に進むが、本日はその逆の石浜→桂島をたどる予定である。理由はしばらく船上からの風景を楽しみたいので最初の桂島で下船するよりは、桂島・野々島を巡ったあと石浜で下船したいと思ったからだ。早朝の便のため乗客は釣り客と島々に物資を運ぶ人が疎らにいる。次便が海水浴客を満載していたのとは対照的だ。

image_5 【写真2】市営汽船(寒風沢桟橋にて)

 ウミネコも乗船。

image_13 【写真3】市営汽船

 桂島、野々島の桟橋に寄ったのち、最初の下船地、石浜集落が見えてきた。

image_14 【写真4】桂島・石浜漁港

 石浜で下船したのは小生と民宿の買出しでトイレットペーパーなどの荷物を運んでいた人だった。船から桟橋で待機していた人に新聞や宅配便の荷物の受け渡しも行われる。

image_36 【写真5】桂島・石浜桟橋

 自然歩道の地図入り案内板も立っていた。

image_37 【写真6】桂島・自然歩道の案内板

 石浜集落を抜け坂道を上り下りする。海に面した場所に白石廣造邸跡があった。白石氏は明治四年以降、北海道や三陸への航路を開き遠洋漁業などで塩竈市の発展に貢献した人物とのこと。現在は建物の礎石が残っている。尚、浦戸諸島の観光マップによると近くにトイレやレクリエーション施設が記載されているが現存していない。津波の被害に遭ったと思われる。

image_38 【写真7】桂島・白石廣造邸跡

 海に出ると対岸の野々島が近い。市営汽船がすぐ目の前を通過した。

image_39 【写真8】桂島・白石廣造邸跡

 白石邸跡の奥から上りの階段が続く。

image_40 【写真9】桂島・階段

 浦戸諸島で最も標高が高い津森山(61m)に雨降石がある。雨降石はロープで囲まれ立入が禁止されていた。かつてこの場所で雨乞いが行われていたとのこと。

image_41 【写真10】桂島・雨降石

 薄暗い山地を下っていくと作業道にでた。

image_42 【写真11】桂島・左に下ると石浜への近道

image_43 【写真12】桂島

image_44 【写真13】桂島・道標

 作業道から舗装道に変わる。道端に案内板が立っていた。
−−−菜の花畑−−−
菜の花とは、アブラナの花及びカブ、白菜など近縁の菜に咲く花の総称をいう。この畑は松島菜白菜の採種用として栽培されている。同じ十字花植物と交雑しやすいため交雑を避け、純粋種を採るため島で栽培されている。柔らかくて甘味のあるこの白菜は漬け物用の冬場の保存野菜として全国に広まっている。5月頃になると桂島・朴島は黄色一色に彩られる。

image_45 【写真14】桂島・菜の花案内板

 途中、鬼ヶ浜と記されたのぼりが立っていたがここから鬼ヶ浜に下ることができる。

image_46 【写真15】桂島・ベンチ

 ペンションや住宅の前を過ぎると緩やかな下りになる。急に視界が開け桂島海水浴場に着いた。

image_47 【写真16】桂島海水浴場

 海水浴シーズンなので売店もある。開店時刻までもう少しだ。

image_48 【写真17】桂島海水浴場

 海水浴場の西側は工事のため立入禁止。ここの鉄パイプはぐにゃぐにゃ曲がっていて津波の威力を物語る。

image_49 【写真18】桂島海水浴場

 海水浴場の内陸側は津波の浸水地域で更地が広がっているが海水浴場までの道案内はしっかりとしているので迷わないだろう。

image_50 【写真19】桂島・ウミネコの道案内板

 本来は海水浴場の西端から桂島の西部を通る遊歩道に進むつもりだったが、海水浴場の西側が立入禁止のため別のルートを探索しなければならなくなった。ところが津波の被害で住宅や道が消失したため手がかりをつかむのは困難である。

image_51 【写真20】桂島・津波被害

 この道かも知れないと思って進んでいくと墓地で行き止まり。なかなか手がかりをつかめないまま時間が過ぎていく。かなり海岸線から離れてしまった。

image_52 【写真21】桂島

 やっとたどり着いた神社の鳥居脇に道標を発見する。どうやらここが遊歩道の入口らしい。

image_53 【写真22】桂島・松崎神社

 軽く参拝し神社の裏手に続く遊歩道に入る。

image_54 【写真23】桂島・松崎神社

 最初はタブの木のトンネルを通過する。

image_55 【写真24】桂島・タブの森

 白崎山展望台は立入禁止。次の二度森展望台を目指す。

image_56 【写真25】桂島・二度森展望台はここで右折

 二度森展望台からは駒島や松崎の先端部の展望が良い。

image_57 【写真26】桂島・二度森展望台

 さらに進む。時々樹木が途切れ西側の展望が開ける。松島湾に浮かぶ小島を眺めるのは楽しい。しかし松くい虫によると思われるアカマツの被害が目に余る。

image_58 【写真27】桂島・大藻根島、鐘島、材木島、モンド島、ドウラン島

 西の山展望台付近でロープが張られこの先は立入禁止だった。

image_59 【写真28】桂島・立入禁止

 松崎神社まで引き返した。そのまま道なりに桂島の集落を抜ける。道幅が狭く住宅が密集している。

image_60 【写真29】桂島

image_61 【写真30】桂島

 桂島の桟橋で次発の市営汽船が来るまで待っことにした。

image_62 【写真31】桂島漁港、奥が市営汽船の待合室

 桂島から市営汽船に乗船する。次の目的地は寒風沢島(野々島は後日訪問する予定)だが船は再び野々島、石浜を経由する。石浜−寒風沢間は小島が多くそれらの形状がおもしろい。やがて寒風沢の桟橋と家並み見えてきた。

image_15 【写真32】寒風沢・桟橋

 桟橋の付近の集落に立ち寄ってみた。復旧工事中のため車道は土埃にまみれている。桟橋の西側はほとんど民家が流出し更地である。海沿いの岩壁で津波で破壊された場所は土のうが積まれ応急処置がされている。尚、翌年訪れたときは岩壁は新しくなっていた。また防潮提も新しくなり以前よりも1mほど高くなっていた。

image_1 【写真33】寒風沢・桟橋前

image_2 【写真34】寒風沢・集落内

image_3 【写真35】寒風沢・防潮提

image_4 【写真36】寒風沢・岩壁と土のう

 桟橋に戻り自然歩道のコースを歩き始める。最初の目的地は日和山展望台だ。桟橋から海沿いに西に進む。復旧工事の現場事務所や民宿の前を過ぎると、かつてはあったと思われる家々はなく更地が広がる。

image_16 【写真37】寒風沢・現場事務所

image_17 【写真38】寒風沢・民宿付近

 持参した地図とは状況が一変しているのであたりをうろうろしながら自然歩道の手がかりを探す。運良く日和山を示す道標が見つかった。

image_18 【写真39】寒風沢・ここから日和山に上る

 日和山の頂上には、しばり地蔵と十二支方角石がある。しばり地蔵は遊女たちが男たちの船出を止めようと、地蔵を縄で縛り逆風祈願をしたと伝えられている。

image_19 【写真40】寒風沢・しばり地蔵

 十二支方角石は天保年間に建てられ天候観測に使用された。江戸時代に航路が開かれたとき風向きを正しく観測するため各地に日和山と方角石が設置されたが、寒風沢の方角石もそのひとつである。

image_35 【写真41】寒風沢・十二支方角石

 日和山からしばらくの間、森の中の細道を進む。

image_20 【写真42】寒風沢・森の中を進む

 途中、別荘のような建物の前を通過した。

image_21 【写真43】寒風沢・別荘の前庭とアジサイ

 砲台跡に立ち寄ってみた。この辺には道標が無いので砲台跡、神明社を探し当てるために何度も別荘前の細道を往復した。砲台跡は広い草っ原になっていて砲台跡のほか弁財天や権現などが祀られていた。

image_23 【写真44】寒風沢・砲台跡

 神明社は砲台跡からさらに南東側の崖上にある。眼下に寒風沢海水浴場が見える。海水浴場といっても現在は堤防工事が行われているため立入できない。

image_22 【写真45】寒風沢・神明社から寒風沢海水浴場

 自然歩道のコースガイドによると神明社から直接、海水浴場に下る道があるようだが見当たらない。一旦車道に引き返し、海水浴場に向かった。

image_24 【写真46】寒風沢海水浴場へ

 工事中の堤防脇の道を進むとチリ地震津波被災の地と記された石碑が立っていた。

image_25 【写真47】寒風沢・チリ地震津波の碑

 水田地帯を横断し元屋敷浜に向う。水田には稲ではなく雑草が茂る。復興はまだまだ先だ。

image_26 【写真48】寒風沢・浦戸米の水田

 元屋敷浜の堤防に上に出る。こちらは堤防工事が完了している。浜といっても砂浜は皆無でコンクリートの護岸が続く。

image_27 【写真49】寒風沢・元屋敷浜

 元屋敷浜を離れ更地を横断、小高い地形を上り下りすると旧浦戸一小前に着いた。東側の眼下にある漁港では盛んに堤防工事が行われている。

image_28 【写真50】寒風沢・漁港 工事中

image_29 【写真51】寒風沢・漁港 工事中

 近くに自然歩道の道標もあった。元屋敷浜0.6km、六地蔵0.2kmと記してある。

image_30 【写真52】寒風沢・道標

 少しの上り坂で峠に達する。峠は三叉路になっていて路上のブロックに自然歩道の道標が埋設されていた。

image_31 【写真53】寒風沢・道標

 峠の道の両側に六地蔵がある。

image_32 【写真54】寒風沢・六地蔵(西側)

image_33 【写真55】寒風沢・六地蔵(東側)

 峠で左折(西に向う)。新しい集合住宅を過ぎたところで右折する。延命地蔵・化粧地蔵がある。化粧地蔵のご利益は子宝が授かるとのこと。

image_34 【写真56】寒風沢・化粧地蔵

 野々島訪問は桂島・寒風沢島訪問の約1年後となった。1300塩釜発の市営汽船に乗船し野々島で下船した。野々島の桟橋は屋根、ベンチがあり浦戸諸島の中では最も豪華なつくりである。

image_7 【写真57】野々島桟橋

 震災前の住宅や道路が消失し更地が広がる中、まず野々島海水浴場に出た。復旧工事が完了した防波堤の上を南に進む。防波堤の南端で防波堤から更地に下ると森の中に上っていく細道があった。道は少々荒れているが野々島の最南端の千代崎まで続いていた。展望台から陰田島が良く見える。

image_12 【写真58】野々島・千代崎展望台と陰田島

 引き返し宇内浜方面に向う。道を少し上り峠の場所で右手の墓地の入口に夜泣き地蔵があった。また峠の左手に細道が分岐しているが野々島の古道(椿のトンネル)である。この古道は工事中で作業員が往来しているのでこの日は入口部分だけ入ってみた。舗装と照明設備が設置されていたので、工事完成後は桟橋から宇内浜までの最短ルートとして活用されると思う。

image_8 【写真59】野々島・夜泣き地蔵

 車道右手に砂浜が広がり宇内浜がみえる。宇内浜に下る細道があったので浜に下りてみた。正面にある島は干潮時に地続きになるとのことだが、訪れたときは地続きになっていなかった。ベンチやテーブルがあるので休憩するにはちょうどいい。

image_9 【写真60】野々島・宇内浜

 宇内浜の背後にある丘は小公園になっていて、こちらも景色が良い場所だ。

image_10 【写真61】野々島・風の丘

 
image_11 【写真62】野々島・風の丘

 最後は野々島~寒風沢の無料の渡船に乗り、その後、寒風沢から市営汽船で塩釜に帰る予定であった。渡船場に行く途中、偶然、バイクとすれ違ったが渡船の船頭さんだった。もう夕方で人が来ないので船から上がってきたところらしい。船頭さんはすぐに戻って船のエンジンをスタートしてくれた。寒風沢では昨年見落とした場所を巡り帰路についた。

<完>

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