ロゴ 東北自然歩道 新・奥の細道 宮城20

みやぎの明治村のみち

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● はじめに
 登米市登米町の明治時代の洋風建築などを散策するコースです。

● 調査日
2015年5月16日

● コース概略図
公式ホームページを参照ください。

(起点)登米三日町バス停→教育資料館→水沢県庁資料館→いこいの広場(草飼山)→警察資料館→芭蕉翁一宿之跡園→日根牛バス停(終点) 計3.1km

● 交通アクセス
 公式サイトでは起点は宮城交通登米案内所とあるが、現在は登米市市民バス登米三日町バス停である。終点は登米市市民バス日根牛バス停。

● コースを歩いて
 JR東北本線新田駅から登米市市民バスに乗車し、登米市役所で下車する。ここで登米市市民バス登米線のバスに乗り換えた。バス時刻表では乗り換え時間がほとんどないのでヒヤヒヤしたが乗り継ぐことができた。小雨がパラつき、やや不安定な天気である。乗車時は結構乗客がいたのだが、米谷付近で乗客が小生だけになった。登米線の終点、登米三日町バス停で下車する。バス停の近くに観光物産センターがあるので最も観光客の人出がある場所だ。名所らしい統一感のある景観で雰囲気が良い。
 最初に教育資料館に向かう。バス停からメインストリートを西に進むとすぐだった。洋風学校建築としては、今年3月に訪れた金成町の民俗資料館によく似ている。ただし教育資料館は建物の形状がコの字で規模が大きく廊下が屋外にあるなど外観の美しさもあり、国重要文化財として一見の価値はある。
 建物のコの字の端部(西側)が入場受付兼売店である。ここで5施設共通観覧券を購入した。これは5施設はほぼ自然歩道の経路上にあるので立ち寄って見学するつもりだ。尚、小生は生命保険会社の特典クーポン券を呈示し使用可能かどうか尋ねたところ使えますとの返事(100円値引き)だった。

image_1 【写真1】教育資料館

 かつての教室単位で各テーマごとに様々な展示がされている。かつての教室の再現、歴史、本・雑誌、仙北鉄道、サザエさん、映画ロケ、天皇陛下訪問など。興味を惹かれるものが多く思いがけず長居してしまった。昼近くになって見学者が多くなってきた。
 東日本大震災で窓ガラスの多くが破損したが、幸い破損しなかったガラスが残存していてそれらは明治時代の製造と判別できるようにラベルが貼ってある。
 次の見どころ懐古館に向かう。公式サイトの地図はかなり古く新設道路が記載されていないのでわかりにくい。5施設共通観覧券の券面にある地図が頼りになる。三日町バス停のある観光物産センターから約2分と記載されている。道標もあるので分りやすい。メインストリートから北に入る道に入り坂道を上る。小雨の中を進んでいくと。薄暗い森の中に懐古館があった。

image_2 【写真2】登米懐古館

 懐古館では新緑特別企画展として「わが家の珍刀・宝刀と戦国変わり兜・胴」の展示が行われていた。小生は、5月の連休・端午の節句関連の展示なのだろうと思って入ったが実物を見るとどうやら本格的な展示らしいことは無知な小生でもわかった。図鑑と実物が並列して展示されている。熱心に見学している人は本日の朝刊の記事で知ったとのこと。小生は短刀の柄の部分の彫刻が工芸品として素晴らしいと思った。この文章を書きながら愛好家の方のtwitterを見ると今回の展示内容は質・量ともにレベルが高いとのこと。偶然、昨日(8/13)読んだ雑誌に最近は日本刀ブームが到来とあったが、もしかしたら人気の刀剣がここにあったのかも知れない。
 次の見どころは水沢県庁資料館。観光物産センターのある信号機のある交差点を南に進むとすぐの所にある。入口に水沢県庁と書かれた大きな木製のプレートがあるのでわかりやすい。小生と二人組の見学者、計三名は受付の方から館内を案内されすべての展示物の説明をしていただいた。
  • 元々の県庁の敷地は広かった。現在の高倉勝子美術館はかつての水沢県庁の敷地とのこと
  • 元々色々な建物があったが、この建物以外は現存していない。
  • この建物は現在の高倉勝子美術館付近にあったものを移転・再現した。
  • 水沢県内の優秀な人材(斎藤実、後藤新平)が勤務していた。(後に斎藤実は総理大臣、後藤新平は東京市長、満州鉄道総裁などになる。
  • 水沢県庁の建物は登米の特産品である玄晶石の屋根を使用したものが多かった。玄晶石は売店で販売されている。
 水沢県は明治初期、現在の岩手県南部と宮城県北部をひとまとまりとした地域にあり、県名の由来は当時の水沢町、現在の岩手県奥州市水沢区である。しかし県庁所在地は登米町で県名と県庁所在地が一致しない。これは登米町が北上川の舟運の要衝・当時の交通の動脈として栄えていたから、この点は地元の方が誇りに思っているのだろう。説明にも力が入っていたと感じた。尚、斎藤実、後藤新平は水沢出身で(現在でも水沢では偉人と呼ばれている)、この二人が登米の県庁で従事したことも登米町の自慢の一つのようだ。

image_3 【写真3】水沢県庁資料館

 続いて春蘭亭。水沢県庁資料館から道路を挟んで斜め向かいにある。武家屋敷で入場は無料だ。館内に軽食コーナーがあり5施設共通観覧券の呈示で飲み物が割引となるとのこと。ゆっくり座って休憩しながらお茶でも飲みたいところだが先客がいたので遠慮する。再度、帰路に寄ってもいい。写真を撮ったあと早々に出た。

image_4 【写真4】武家屋敷(春蘭亭)

 北に続く道を進む。この道は両側が白壁になっていて武家屋敷通りと呼ばれている。

image_5 【写真5】武家屋敷通り

 武家屋敷通りをクランク状に右左折する。十字交差点に自然歩道の道標があった。この交差点では右折(西に向かう、東に向かうと警察資料館)後、すぐに左折(北に向かう)。正面に登米神社の鳥居が見える。

image_6 【写真6】自然歩道の道標(登米案内所0.9km、町民憩の広場1.4km)

 登米神社の石段を上る。雨は止んだが濡れているので滑りやすい。石段を上りきり民家の前を通り抜け神社の境内に入る。

image_7 【写真7】登米神社

 車道に合流し坂道を上っていく。気温が上昇し汗ばんできた。林の中で沿道に民家はない。やっと左手に水道施設の建物が現れた。これは公式サイトの地図通り。さらに先に進むと道路左脇に簡易トイレと駐車スペースがある。ただし道標や案内板は何一つ無い。その地点から西側に未舗装の細道が続いている。この先にいこいの広場があると予想し入っていく。10分ほど進んだ所に東屋、石碑、石碑の解説を記した案内板があった。特にいこいの広場と記されたものは見あたらない。
 石碑に刻まれているのは高浜虚子の句だった。「遠山に日の当たりたる枯野かな」。ここから西面の展望がよく登米市の平野部が一望できる。東屋で昼食休憩とした。見学に時間を費やしたおかげで帰路に予定していた市民バスの時刻には間に合いそうにない。

image_8 【写真8】いこいの広場

 武家屋敷通りの出口の交差点まで引き返し、警察資料館に向かう。それは丁字路交差点の角にあった。ちょうどグループの見学者が入館するところだったので小生も後に続いて入館した。入口にパトカー、白バイの展示。その先の通路の両脇に小部屋があり過去の備品、東日本大震災の記録写真など、通路突き当たりが牢屋で中に自由に入ることができた。二階は制服、勲章の展示。二階バルコニーからの展望が良さそうだがこちらは立ち入り禁止だった。

image_9 【写真9】警察資料館

 警察資料館の隣に玄晶石の館がある。中に管理人はいないので、自由に見学するようになっている。原材料の採掘現場の写真、各種製品のサンプル展示、東京駅の屋根材に関する資料など。現在、玄晶石は登米では生産されていない(産地は雄勝町のようだ)とのことだ。
 商店が並ぶ通りを北に進む。飲食店も多く中でもうなぎ屋の看板が目立つ。国道342号の登米大橋を渡る直前に左折、北上川の土手を北に進むと芭蕉翁一宿之跡の碑があった。

image_10 【写真10】芭蕉翁一宿之跡

 登米大橋を渡る。渡ったあと信号機のある丁字路交差点で右折(南に進む)。この先の国道342号の沿道は桜並木となっている。ただし国道には歩道がないので徒歩では危険である。すぐ近くに自然歩道の終点、日根牛バス停がある。また丁字路交差点の東側の空き地に自然歩道の地図入り案内板が立っていた。

image_11 【写真11】自然歩道の案内板

 帰路は観光物産センターで土産物を買ったあと、高速バスの始発地の登米総合庁舎まで歩き仙台行き高速バスに乗車、仙台駅でJRに乗り換え帰路に着いた。
<完>

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