title_logo 東北自然歩道 新・奥の細道 宮城22

いしこし“史Look”(シルク)ロード

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● はじめに
 登米市石越の町内と史跡を巡るコースです。

● 調査日
2015年4月25日

● コース概略図
公式ホームページを参照ください。

(起点)JR石越駅→三吉神社→昌学寺→チャチャワールド→総合運動公園(終点) 計5.1km

● 交通アクセス
 起点はJR東北本線石越駅。終点の総合運動公園は登米市市民バス八嶋中央診療所前徒歩5分。

● コースを歩いて
 公式ホームページ通り起点から終点まで歩きました。石越駅で下車。駅舎から出てすぐ左の広場に自然歩道の地図入り案内板がある。しかしペンキがほとんど剥げ落ち文字を読み取るのは困難である。本コースの最初の見どころはくりはら田園鉄道駅だが既に廃線となり駅舎の跡地は駐車場になっている。線路沿いに南に進み跨線橋を渡り東に進む。交通量が多い車道だが歩道がないので通過車両に気を遣いながら歩く。

image_001 【写真1】石越駅の自然歩道案内板

 平坦な水田地帯から緩斜面を上り始めた所で左の細道に入る。交通量の多い車道と細道は並行しているが100mほど進んだ所で左折する。雑木林に覆われた道を進む。沿道には春の草花が咲く。ナズナ、ハコベ、カキドオシ、クサレダマ、オオイヌノフグリ、タチツボスミレ、ニホンタンポポ、ヒメオドリコソウ、ヤエムグラ、チドメグサ、アオキ、ユキノシタ(未開花)。樹木で見かけたのはイヌツゲ、ツタウルシ、キヅタ。
雑木林を抜けると視界が開け丁字路に突き当たる。ここにハッピーコミュニテイ寺山と記された地図入り案内板と自然歩道の道標がある。道標に従い右折(東に進む)する。

image_002 【写真2】案内板(中央)と自然歩道の道標

 300mほど進むと次の自然歩道の道標が現れる。ここで左折(北に進む)し昌学寺に向かう未舗装の細道を上っていく。

image_003 【写真3】昌学寺入口

 サワラ、ヒノキ、スギ、コクサギの鬱蒼とした森の中を通る。峠のピークを過ぎると左手の山の斜面に墓地が広がる。道脇にムラサキケマンが咲く。地図によるとこの山の名称は金鶏山とある。平泉の世界遺産の構成要素の一つである金鶏山と同名なので興味がある。登ってみたい山であるが歩き始めてからここまでかなり時間がかかっているので先を急ぐことにした。
 山の麓まで下ると左手に昌学寺がある。境内にある樹齢390年のしだれ桜は残念なことに高さ5m位から上部が切断されていた。切断部から一本の細い枝が伸びその先にわずかばかりの花がついている。しかし境内の樹木は種類が多くちょっとした植物園のようで見応えがあった。タラヨウやニリンソウの花を観察したのち鐘楼門をくぐり寺を出た。

image_004 【写真4】昌学寺鐘楼門

 水田地帯の平坦な車道を進む(南に進む)。歩道があるので歩きやすい。途中、自然歩道の石柱道標がある。ここで右折するのが正しいコースだが小生は直進してしまった。直進する道は新設されたため公式サイトの地図に記載がない。500mほど進んでからコースから外れたことに気づき引き返した。

image_005 【写真5】石柱道標(ここで右折)

 分校跡前から静かな住宅地の中を進む。ウグイスが鳴く。商店が並ぶ石越町のメインストリートを横断しチャチャワールドに向かう車道に合流する。ツツジの街路樹の坂道を上っていく。チャチャワールドは有料のファミリー向けレジャー施設で、乗り物を中心とした各種アトラクションがある。

image_006 【写真6】チャチャワールド

 車道の峠を過ぎると左手に自然歩道の道標があった。指示に従い左に分岐する未舗装道に入る(東に進む)。左手眼下にチャチャワールドの広大な駐車場が見える。薄暗い林の中を通り抜けると数件の民家があり枝分かれする道がいくつかあるのでどちらに進んでいいのか迷ってしまう。近くに見える大きな建造物(上水道設備の建物)を目標にして進むと舗装された車道に出た。ここで左折する。坂道を下っていくとY字交差点と自然歩道の道標がある。近くに市役所庁舎があり終点は近い。

image_007 【写真7】Y字路と道標(高森城跡0.1km,総合運動公園0.4km)

 高森城跡に向かう。薄暗い森の中、長い石段を上る。草刈りが行われていないので荒れた感じがする。城跡の山頂に五十瀬神社がある。石段の中腹から分岐する道はチヤチャワールドの遊歩道である。偶然ここでレジャー客で満席のチューチュートレインに出くわし驚いた。
 以下は案内板の内容(抜粋)です。

五十瀬神社
 天和3(1683)年、町内に分散していた神明(大照大明神)、建部大神(日本武尊)、白髭大明神(猿田彦命)の三社を合祀し、大照皇大神を祀っていることから五十瀬神社またはお伊勢堂とも呼ばれ伊勢参りとして栄えた。神社周辺は坂上田村麻呂の奥州征伐のとき館として使用され高森古館と呼ばれる。

高森館跡
 陸奥国の豪族安部貞任、宗任は奥羽地方にその勢をふるい国司を追放し反乱をおこした為に時の帝は永承6年(1051)源義家にこれを討つことを命じた(前九年の役という)。貞任らは高森山一帯に柵を築き頑強に抵抗したが敗れ金鶏山蝦嶋方面に敗退せると言う。現在の神社周辺は本丸跡と伝えられている。

image_008 【写真8】五十瀬神社

 先ほど見た市役所庁舎(石越総合庁舎)まで戻る。この庁舎は最近できたので、公式サイトの地図には記載されていない。庁舎は小高い丘の上にあり庁舎前広場から南面の展望が良い。眼下には終点の総合運動公園が見える。ちょうど下に降りる道があって進んで行くと総合運動公園の入口に着いた。入口にある駐車場に自然歩道の地図入り案内板が立っている。

image_009 【写真9】終点(総合運動公園)

 運動公園入口から車道を東に進むと丁字路に突き当たる。ここに最寄りのバス停(登米市市民バス八嶋中央診療所前)がある。
<完>

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