越後交通


1987年4月に会社に就職後工場実習を経て同年6月に勤務地が新潟県長岡市に決まった。長岡は全く初めての土地であった。6月27日まだ学生気分が抜けない小生は長岡市内にある長岡技術科学大学にでも行ってみようと思って長岡駅前から大学方面に行くと思われるバスに乗車する。しかし乗車したバスは関原行きのバスで方向がちょっと違っていた。その上小銭の持ち合わせが少なかったのでずいぶん手前のバス停で下車してしまった。そこから徒歩で大学に向かう。

大学ははるか南方の小高い丘の上にあった。校舎の中の売店や食堂を歩き回ってしばし学生気分に浸った後帰る事にした。バスの時刻にはまだ間があるので途中まで歩く。才津農協前のバス停でバスを待っていると後方からキキーッという金属的な甲高い音が聞こえてきた。振り返ると電気機関車が3,4両の貨物車を牽引して来迎寺方面に向かって走っている。

うわー,こりゃすごい。長岡でこんな電車が健在だとは知らなかった。あとでまた見学にこよう。と心の中で思った。しかし走っている電車を見たのはこれが最初で最後であった。

その後,越後交通電車線を自分なりに調べてみた。この時点で営業していたのは西長岡−来迎寺の区間であった。主として深沢町にある日産化学の生コン原料の輸送をしていたと思われる。以前は旅客営業もしていたので随所にその名残があり駅のホームや駅名標がそのまま放置されていて今にも客車が来そうな雰囲気があった。しかしそれらも時代と共に次第に撤去されてくる。

1994.6.11
ED5101
西長岡駅
1994.6.11
ED401
西長岡駅

1994年の秋頃,書店で何気なく鉄道雑誌を立ち読みしていたら田園の中を走る越後交通の電車のカラー写真が見開き2ページで掲載されていた。いつか小生もこのような写真を撮ろうと思っていたのだが・・・。写真の下にある記事には近々その使命を終えるだろう,とある。いろいろな情報から廃止日は1995年3月31日のようだった。

1995年3月20日小千谷からの帰り道に西長岡駅前を通る。ふと,まもなく廃止となる電車の事を思いだした。ちょうどカメラを持ってきているので最後の写真を撮ろうと思う。駅裏に回ろうと思い信濃川の堤防に上る。この時初めて気づいたのだが堤防直下までレールが伸びている。いつの日か信濃川を越え長岡の中心街まで線路を延伸しようという夢があったのではないだろうか。その夢もついに実現する事無く消え去る運命となってしまった。残雪残る駅構内に入り写真を撮る。

廃止後しばらくの間,各踏切には「電車が廃止となったので一時停止は不要です」という意味の立て札が立てられた。現在は,踏切・レール共に撤去されており電車が通っていた面影も次第に薄れてきている。

1995.3.20
西長岡駅全景
後方は長岡東山
1995.3.20
西長岡駅全景
1995.3.20
ED5102
西長岡駅
1995.3.20
ED5102
西長岡駅
1995.3.20
除雪車
ロ-103
西長岡駅
1995.3.20
西長岡駅全景
信濃川の堤防より
1995.3.20
西長岡駅全景
信濃川の堤防より
1995.3.20
西長岡駅全景
後方は長岡東山

その他の越後交通の廃止路線の状況

・西長岡−寺泊線
つい最近までレール及び架線を吊るす電柱が撤去されずにそのまま残っていた。現在は少しづつ撤去が進んでいる。寺泊在住の会社の先輩は学生時代にこの電車に乗って通学したとの事である。
【写真】長岡市日越にて(1994.6.18)

・長岡−見附−栃尾線
長岡市街はJR信越線と並行しており駐車場となっている。その先から見附までは水田の中の畦道という感じである。浦瀬バス停の建物は旧浦瀬駅舎である。見附温泉の前に以前は椿沢駅の駅名標が立っていたのだかいつのまにかなくなってしまった。見附から栃尾までは自転車専用道路として整備されている。

・長岡−悠久山線
長岡市のシンボルロードとして整備されている。電車の車輪のモニュメントがある。


・撮影データ
Camera:PENTAX SuperA,CONTAX TVS
Lens:RIKENON 55mmF1.2,Vario sonner 28-56mm
Film:Fuji RDPU,Konica DD100
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