ローカル線乗車日記[JR富山港線]
富山県富山市
2003年1月13日
越後石山(527)→(1000)東富山(1004)→(1105)岩瀬浜(1137)→(1156)富山(1226)→(1733)大形
【写真】岩瀬浜駅ホーム

 三連休の初日・二日目と家の中でゴロゴロとして過ごしてしまった。このまま三日間も何もせず時間を浪費するのは良くないと思い,青春18きっぷの旅として未乗車区間である富山港線に出かけることにした。
 朝3時半に起床し朝食を摂る。体調に不安があるが身支度を整え4:43に玄関を出る。空には星が輝いていて天気はよさそうだ。東児池のバス通りを経由し石山駅まで歩く。若干早く駅に到着する。4:50自宅発でよさそうだ。気温は低く,手袋をしていても手がかじかんでくる。
 いつも通り石山→新津間は座席に座れないほど混んでいたがその先は比較的空いていた。車内は暖房がされているが窓や出入り口から冷たいすきま風が入ってくるのでうとうと眠ってしまうと風邪をひきそうである。持参した本を読むことにする。
 鯨波→笠島間は車窓から日本海の展望が良い。岩場で磯釣りをしている方を何人か見かけた。終点直江津で下車。ちょうど信越線長野行と北陸線高岡行に接続する。長野行電車は降りたホームの反対側,高岡行電車は階段を渡って6番線にすでに待機している。富山間県内に入り生地,黒部,魚津と停車するたびに車内の乗客が増え立っている人もでてきた。車内のアナウンスは「本日は混雑して申し訳ありません」を繰り返している。
 東富山で立っている乗客をかき分け下車。駅のホームから立山連峰がはっきり見える。駅前の通りを直進する。周囲は静かな住宅街である。5分ほどで片側2車線の広い道路にでた。ここで右折(北進)すると岩瀬方面である。通りは郊外のショッピングセンターが建ち並ぶがしばらく進むと三菱レイヨンの大工場地帯の中に入る。丁字路に突き当たるがこの場所から自転車道が前方の松林を通り抜け海岸沿い(滑川方面)に通じている。砂浜には積雪が10cmほどあり白一色であった。丁字路に引き返し車道を東に向かう。今度は東ソーの工場地帯の中である。偶然,歩道に面して案内板が立っているのを発見した。見ると義経鎧掛けの松と記されている。また一つ義経の史跡を訪れることができて感激である。案内板を写真に収める。
「義経鎧掛けの松
 かつて,この地の西側(東洋曹達工業正門前)に「義経鎧掛けの松」といわれる古木がありました。
 源義経は源平合戦において,兄の頼朝を助け,寿永四(一一八五)年に平家を滅ぼしましたが,その翌年には頼朝から追われる身となりました。このため,奥州藤原氏のもとへ落ちのびる途中,北陸道を通ったといわれ,北陸の地には義経伝説が数多く残されています。
 伝えるところによれば,安宅の関(石川県)をこえ越中に入った義経一行はしばしの休憩を取るため,この地の松に鎧を掛けたといわれています。
 現在では伝説の松は失われてしまいましたが,往時の面影を再現しようと地元老人クラブ(幸友クラブ)の手によってこの場所に松が植えられています。富山市」【写真】義経鎧掛けの松の案内板
 海岸はすぐ右手にあるが東ソーの私有地のため中に入れない。その私有地を過ぎると岩瀬浜海水浴場の案内板があったので右折し住宅地の中を少し進むと海岸に出た。今日は天気も良く気温も高めのせいか散歩がてらに訪れる人が多いようだ。海水浴場の西側に漁港がある。釣り人が10人位思い思いの場所で糸を垂れている。その先(西側)は県の港湾管理地となっていて立入禁止となっている。港湾施設を右手に車道を歩いていくと岩瀬運河を渡る橋があった。これを渡らずに運河沿いの遊歩道を進む。この遊歩道は港町の情緒を感じさせるデザインとなっている。カナル会館という建物があり名称からして運河にまつわる内容の展示がありそうだ。しかし時間的にそろそろ駅を探さないといけないのでその前を通り過ぎ,あたりをきょろきょろしながら歩く。運河を渡る電車の鉄橋があったのでそれを追っていくと意外にもすぐ近くに岩瀬浜駅前のバス停があり駅舎も見つかった。
 終着駅というと待避線や車庫がいくつもあるものと思っていたが,岩瀬浜駅は片側一面のホームと単線のレール1本と引き込み線1本というシンプルなものであった。当然無人駅である。到着した車両はキハ120 345 1両編成(ディーゼル,定員110名)のワンマンカーでアルミかステンレスの車体にピンクや青の派手な塗装がされている。富山港線は電化されているのにディーゼルの車両がきたので意外であったが時刻表を見ると朝夕のラッシュ時は電車で運行している。
 定刻に発車。岩瀬運河を渡ったと思ったらすぐ次の駅の競輪場前に停車した。駅間距離はわずか200mぐらいか。岩瀬浜駅から競輪場前駅のホームが見えるかも知れない。競輪場前でどっと乗客が乗ってきて座席はほぼ埋まってしまった。駅名の通り競輪場の建物のすぐ近くに駅がある。乗車したのはスポーツ新聞を片手にした競輪ファンがほとんどといってよい。その後も短い間隔(距離・時間とも)で駅に停車する。城川原駅はホームが二面ありここで列車のすれ違いをすると思われる。その他の駅は片側一面のホームであるが駅舎には待合室がありローカル線としては立派なものであると感じた。沿線は工場地帯なので氷見線と同様に貨物の引き込み線が入り乱れているものと予想したがその予想は外れた。富山口駅で北陸線と合流し終点の富山に到着。昼食は恒例の富山駅ホームの立山そばであるが奮発しててんぷら・玉子付き(\400)とした。
 帰路は道草せずに次の北陸線下りに乗車する。黒部川鉄橋から眺めた立山連峰が美しかった。


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