東北自然歩道 新奥の細道

古戦場のみち <3>

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● 室の樹跡→2.8k→展望台→1.7k→雲際寺
 

長者原廃寺跡

室の樹跡から道標に従い水田の中の道を進む。左手に休耕田のような空き地が見えるがそこが長者原廃寺である。物部氏の子孫であり代々この地方の金山を経営していた金売吉次の屋敷跡と言われている。奈良東大寺大仏用の金の産地として陸奥国は脚光を浴びるが吉次一族の存在を抜きにしては語れないと思う。安倍氏や奥州藤原氏の経済的繁栄は吉次の後援があったからこそであろう。尚,近くを流れる衣川には渡船場跡があり吉次の物資輸送に使われたとの説がある。吉次が若い義経を京から平泉に連れてきた出来事は,今でも春の平泉の祭り・義経東下り行列として華やかに再現されている。

この遺跡は南を正面とするほぼ方形(南北100m強,東西90m弱)の土塁で区画されており,昭和33年と47年の2回にわたる発掘調査によって西門土塁跡,南門跡,本堂跡,西方塔跡が確認された。ここは承安四年(1174)に16歳の源義経を京から連れてきたという秀衡の御用商人三条吉次季春通称金売吉次の屋敷跡と伝えられてきたが礎石の配列や遺物の配置及び出土した土師器等から平泉藤原氏の時代かそれ以前の重要な寺院跡と推定されている。

展望台

長者原廃寺跡から高速道路の下を通り抜け県道に出る。小学校の校庭を過ぎたところで右折し坂道を上る。尾根沿いの見晴らしの良い道を進むと道の左側の小高い場所に広場がある。ここが展望台である。衣川の里をよく見渡すことができ遠い昔に思いを馳せる。国敗れて山河あり。1000年前,小生の遠い祖先もこの風景を眺めたのだろうか。

安倍氏のふる里
ここから南北を見れば衣川の地勢が一望できます。奥羽山脈から連なった稜線は南は毛越寺裏側から太田川で北上川に注ぎ,北は前沢町鵜の木字衣ノ関で北上川に達しています。即ち天然の要害の地だったわけです。延暦年間から藤原氏滅亡まで衣川は幾多の強者が駆け抜けました。

雲際寺

尾根道を分かれ再び県道まで下る(尾根道をそのまま直進すればニュージーランド村に着く)。バス停「雲際寺」の北側の森の中に雲際寺がある。以下はバス停脇にあった案内板の内容です。【写真】バス停から雲際寺

嘉祥三年(850)慈覚大師が開創,天台宗牛局山梅際寺と称す。文治五年(1189)源義経公北の方と共に平泉高館にて御自害。僧頼然,義経公北の方の位牌「損館通山源公大居士当寺開基局妙好大姉」を安置して生涯を回向す。本尊不動明王義経公北の方の本尊。位牌は現存。

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