東北自然歩道 新奥の細道

古戦場のみち <4>

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● 雲際寺→1.3k→東北ニュージーランド村→2.7k→一首坂→0.7k→古戸(終点)

東北ニュージーランド村

雲際寺から県道を西にしばらく進んだあと再び坂道を上り展望台から続く尾根道に出る。小生が中学・高校の頃はこのあたりは静かな牧草地であり昼寝するには絶好の場所であった。いつの間にか開発のメスが入り尾根の北側の斜面がニュージーランド村という有料の観光施設となってしまった。小生は開園して間もない頃に行ったきりである。中に入るとその名の通りニュージーランドの牧草地のような雰囲気だ。ウサギなどの小動物と遊べる所,ニュージーランド原産のみやげ物売り場,バーベキュー,グラススキーなどの設備があった。

一首坂

尾根道を西に進むと一首坂への行き先を示す自然歩道の道標が畑の中に立っている。ここで左折し未舗装の細い道を下る。この道で今から約950年前に貞任・義家の歌のやりとりがあったのかと思うと感慨深い。しかし歩いているうちに麓の衣川役場まで下りてきてしまい道を間違ったことに気づく。おそらく途中右側に分岐していた山道が一首坂へ通じる道である。古戸の集落を勘に頼って進んでいくと一首坂への道表示があったので無事到着することができた。一首坂と言うものの実際は坂への上り口に小公園がありここに一首坂の由来が刻まれた石碑が建っている。この石碑の裏側から山の斜面に登る細い山道があるがこれが本来の一首坂だと思われる。1997年5月に小生はこの地を訪れたのだが現在は立派な遊歩道になっているのかも知れない。【写真】ここで坂道を下ると一首坂に至る

衣の館はほころびにけり 義家
年を経し 糸の乱れの苦しさに 貞任

史跡 一首坂
源義家と安倍貞任の連歌のこと。陸奥守源頼義が貞任・宗任を攻めた。中略。貞任は堪えきれなくなり遂に衣川館を出て逃げ落ちるところを頼義の長男八幡太郎義家が追いついて「ひとこと言いたいから,少し待て。」と声をかけた。貞任が振り向いたところへ「衣の館はほころびにけり」と下の句を詠み,上の句を待った。
貞任は馬をとどめて義家に向かい間髪を入れずに「年を経し 糸の乱れの苦しさに」と詠み上の句を答えた。
馬に矢をつがえて答えを待っていた義家はその上の句の返答に感じ入り,つがえた矢をはずして進撃を止めて帰った。
これだけの大きな戦の最中でありながら,大変優雅なことであった。

上記の解説は一首坂前にある案内板に記述されていたものであるが,この歌の真意について自分なりに考察してみた。

1案
義家:安倍館が焼失し勝利は源氏にあり。
貞任:長い年月がたてば自然に糸も綻びる。決して源氏が勝ったわけではない。勝負はこれからだ。
2案
義家:安倍館が焼失し勝利は源氏にあり。
貞任:敗戦が続き一族の中には源氏に内通するものがいる。また,策もなかなかまとまらず苦しい戦である。

古戸(終点)

衣川村の中心地。ここから一関・水沢方面のバスに戻り帰路につく。時間があれば逆方向の黒滝温泉まで行き一汗流すのも良い。

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