東北自然歩道 新・奥の細道

啄木を訪ねるみち

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● はじめに

 盛岡市玉山区にある石川啄木ゆかりの地を巡るコースです。

● 調査日

2006年9月3日,10月28日,12月9日

● コース概略図

渋民駅→1.8km→愛宕の森→0.8km→啄木記念館→0.6km→渋民公園→4.5km→夜更森→0.8km→好摩駅

渋民公園→0.9km→浄泉寺→0.3km→喜雲寺→1.3km→渋民駅

● 交通アクセス

 起点の渋民駅はいわて銀河鉄道渋民駅下車。終点の好摩駅はいわて銀河鉄道好摩駅下車。

● コースを歩いて

 渋民駅で下車。駅前広場の北側の植え込みの中に自然歩道の地図入り案内板が立っています。


【写真1】起点: 渋民駅

新奥の細道
東北自然歩道 啄木を訪ねるみち
 このコースは渋民駅から石川啄木の生まれたふるさとのゆかりの地や歌碑を訪ねながら好摩駅までの10.3kmのコースである。
 沿線には、啄木が「生命の森」と呼んだ愛宕の森、遺品や資料をもとに建てられた啄木記念館、ゆかりの寺宝徳寺、北上河畔の渋民公園、好摩ヶ原の夜更森の他喜雲寺、浄泉寺などがある。

 コースは渋民駅〜啄木記念館〜好摩駅のメインルートと渋民駅〜渋民公園(喜雲寺・浄泉寺ルート)があります。渋民駅を起点にした場合、好摩駅に到達後再び渋民駅(または渋民公園)に戻り喜雲寺・浄泉寺ルートに入ることになります。当日の後半は雨だったので喜雲寺・浄泉寺ルートは後の機会に訪れたいと思います。
 自然歩道の案内板の脇に歌碑が立っていました。

 なつかしき故郷にかへる思ひあり久し振りにて汽車に乗りしに(164)

 駅前の通りの突き当たりの丁字路で右折(左折すると喜雲寺・浄泉寺ルート)。国道4号線に出ます。北上川に架かる船田橋を渡ってすぐの交差点で左折します(直進は4号線の渋民バイパス)。病院を過ぎ右手に定食屋があります。その歩道脇に交通安全観音像と歌碑がありました。

 神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ(85)

愛宕神社の麓にある清水に着きました。


【写真2】愛宕清水

 鳥居をくぐり階段を上ると愛宕神社です。神社の裏手が展望台でその先に遊歩道が続いています。展望台からは岩手山をはじめとする山々を眺めることができます。また自然歩道のコース案内板と、歌碑が二つ立っています。

ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな(79)
新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど−(165)


【写真3】愛宕神社

愛宕の森
 啄木は好んで散策し詩想を練った。この下に啄木が代用教員として教鞭をとった渋民尋常小学校があった。


 森の中の遊歩道を歩き山を下ると池(寺堤園地)があります。木道を渡り池を横断します。


【写真4】寺堤園地(後方の建物はトイレ)

 幼稚園前を通過すると宝徳寺です。啄木の父が住職であり啄木が過ごした所です。境内に父一禎の墓があるとのことです。

宝徳寺
 啄木は明治20年(1887)に隣村日戸村の常光寺からこの寺に移り住み満18才まで過ごし文学者としての素質を養っています。啄木のペンネームは境内の樹林をたたく啄木鳥から生まれたものです。


【写真5】宝徳寺

ふるさとの寺の畔のひばの木のいただきに来て啼きし閑古鳥!(191)

 宝徳寺駐車場(寺の西側)にも寺の110年ぶりの再建の際建てた歌碑があります。碑の近くにある設立趣意書には「石川は故郷に帰りたがっている」とありました。

今日もまた胸に痛みあり。死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ。(195)

 石川啄木記念館に入館しました。啄木生誕120年記念として「啄木をめぐる女性たち展」が企画されていました。敷地内には旧渋民小学校校舎と代用教員時代に間借りした斉藤家があります。

渋民尋常高等小学校
 啄木の母校であり代用教員を勤めた渋民尋常高等小学校校舎は明治17年に650円で建設されました。啄木は明治24に入学し明治39年4月日本一の代用教員として教鞭を執りました。


【写真6】旧渋民小学校

 校舎内は見学に来た子供達が走り回り絶好の遊び場となっていました。小生の小学生時代も木造建築で似たような机と椅子だったので懐かしい。隣の斉藤家は薫蒸中で煙が充満していました。啄木が間借りしたのは二階との事ですが老朽化で危険なので階段を上ることはできません。「啄木はここで雲は天才であるを書いたんだよ」と案内の方が子供達に説明していました。


【写真7】斉藤家


【写真8】石川啄木記念館

 国道4号線を横断し渋民公園に向かいます。この日はマラソン大会があり公園内は混雑していました。一番見晴らしのよい高台に歌碑があります。大正14.4.13に建てられた物で啄木歌碑第一号(石川啄木記念館パンフレットに記載)とのことです。

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに(70)


【写真9】歌碑:やはらかに(後方に岩手山)

 歌碑から鶴飼橋を経由し運動公園まで遊歩道が続いています。


【写真10】鶴飼橋

啄木の通った道
 啄木がこの地にいた頃は渋民駅はなく好摩駅が主要拠点だった。渋民村に住んでいた啄木は東京や函館に行く際には現在の鶴飼橋の下流に架かっていた元の鶴飼橋を渡りこのあたりから鉄道沿いに好摩駅に歩いたと言われている。

 いわて銀河鉄道の踏切を渡り右折(北に向かう)。前方左手の高台に展望台(川崎展望地)が見えてきます。渋民が一望できる場所のようです。この展望台には自然歩道のコースから200mほど寄り道しなければなりませんが雨が降ってきたので今回は断念しました。その先、道は松川に沿って北上し水田地帯のやや単調なコースになります。
 森崎稲荷神社の鳥居をくぐり階段を上り社殿に参拝。さらに右手に続く道を上っていくと夜更森(稲荷山)の展望台です。好摩の町と姫神山の眺めがよいところです。


【写真11】夜更森から好摩市街地・姫神山

夜更森
 啄木が往来のたびに親しんだ好摩駅を歌った石碑が昭和35年6月12日、地元有志の手によってこの山頂に建てられた。碑文は啄木の妹三浦さんの書を刻んだもので、碑の材料は姫神山のふもとから切り出された高さ2m、幅3mの御影石が使われ、台石には岩手山の火山岩が使われている。

霧深き好摩の原の停車場の朝の虫こそすずろなりけれ(77)

 急斜面をつづら折りで下ると小公園(夜更森園地)がありここにも歌碑があります。

公園の木の間に小鳥あそべるをながめてしばし憩ひけるかな(151)

 公園から通りを東に進むと終点の好摩駅です。


【写真12】終点:好摩駅前の通り

 好摩駅構内にも歌碑(霧深き・・)があります。また、啄木はこの駅から旅立ちました、という看板も掲示されています。ここから啄木の漂泊の人生が始まったことを考えると感慨深い。
 好摩駅前北側の小公園に自然歩道のコース案内板と歌碑がありました。(10月28日調査)

 ふるさとの停車場路の川ばたの胡桃の下に小石拾へり(79)

 12月9日、渋民駅から喜雲寺・浄泉寺ルートを訪れました。月初めの降雪で道は滑りやすいので注意して歩きます。進んでいるうちに気づいたのはほとんどの道標が新しいものに置き換わっていたことです。他コースでは道標の破損や紛失で道に迷うことが何度もあったので助かります。
 鉄道の防雪林に沿って北上後、喜雲寺・浄泉寺を経由し川崎展望地に到着しました。展望地には東屋とベンチがあり眼下に流れる松川と姫神山の眺めがよい。歌碑も立っていました。

今日ひよいと山が恋ひしくて山に来ぬ。去年腰掛けし石をさがすかな。(165)


【写真13】川崎展望地と歌碑

注記: 各歌の( )内の数字は新潮文庫版一握の砂・悲しき玩具の掲載ページです。

<完>

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