東北自然歩道 新奥の細道

伝説義経北行コースのみち(2) <玉崎神社>

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● 玉崎神社

江刺市の中心街岩谷堂から県道岩谷堂−人首線を人首方面に進む。「えさし藤原の里」に向かう交差点を過ぎ約2km進むと県道の左手に自然歩道の案内板が立っている。バスを利用する場合は江刺バスセンターから米里方面行きに乗り約4km先の「雲南田」バス停が近い。


▲玉崎神社入口

玉崎神社は江刺三十三観音霊場の第三十三番札所となっている。神社の案内板によれば観音堂の中に十一面観音が安置されているとのことである。神社の由緒は未調査だが玉崎館があったことから古来から要害地だったと思われる。

入口から本堂に向かう斜面を上っていく。参道の左右に小さな堂宇が点在している。本堂は思ったよりも規模は小さい。義経らが隠れるのにはふさわしい静かな山中の寺である。境内の中に庭園がある。ちょうどツツジが咲き始めた頃だった。


▲玉崎神社

自然歩道の案内板に隣接して義経北行コースの大看板も立っており次のように記されています。

−−−大看板の内容−−−

伝説義経北行コース
玉崎神社

悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ,文治五年(1189年)四月,平泉の高館において三十一歳を一期として自刀したが,短くも華麗だったその生涯を想い,”義経は,その一年前にひそかに平泉を脱し,北をめざして旅に出た”という伝説を作りあげたのである。

世にいう「判官びいき」であろう。

その伝説の一つに,”平泉を脱出した義経主従が,その途中この玉崎神社に武運長久と道中の安全を祈願するため五日間参籠した。当神社の社宝として保存されている経文,太刀,槍などは義経ゆかりの品々である”と伝えられている。

静寂な森と人首川の静かな流れとを落魄の武将義経の心に捧げ,なぐさめようとして語りつがれた伝説であろうか。

岩手県観光連盟

同じく隣接して立っている玉崎館の案内板には次のように記されています。

玉崎館跡
江刺市玉里字玉崎

万松寺山(二二五メートル)の南東端に位置している。別名マトバ館,高城ともいわれている。「仙台領古城書上」には,東西三六メートル南北二三.六メートル。城主は次丸道海入道とある。館は,東西南北とも急崖である。北方には空堀が二重に残されている。城主の次丸道海入道は江刺氏の家臣といわれ葛西氏の家臣でもある。この館の前身は蝦夷館であったといわれている。

−−鎌倉時代−−


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