東北自然歩道 新奥の細道

伝説義経北行コースのみち(2) <兜跋毘沙門天>

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● 兜跋(とばつ)毘沙門天

四ツ塚を出発し200m先の十字路で右折する。ここからは緩やかな下り坂となる。水田地帯に出ると道標がある。ここで左折する。


▲ここで左折(毘沙門天2.3km,四ツ塚1.4km地点)

前方は緩やかな北上山系の丘陵地,後方に残雪をたたえた焼石連峰。ちょうど田植えの時期で水を張った水田に青空が映って輝いている。道なりに進んでいくとT字路に突き当たり左折するとすぐに兜跋毘沙門天の案内板が立っている。


▲T字路 左が毘沙門天,右が岩明

りんご畑の斜面を上る。本堂の鳥居の左側に杉の巨木がある。本堂の東側に駐車場と「伝説義経北行コーストイレ」と書かれた立派な公衆トイレがある。しかしこのトイレはシャッターが下りていて使用できなかった。この日は平日だったためだと思われる。鐘楼の脇にも旧式のトイレはあるのだが。

藤里地区のいたるところに毘沙門天の案内板が立っていることからかなりの人気があると思われる。水沢市の黒石寺同様休日になると祈祷団体が大挙して訪れてくるのだろうか。次回は休日に行き毘沙門天をぜひ見たい。


▲毘沙門天堂

兜跋毘沙門天の案内板には次のように記されています。

重要文化財
兜跋毘沙門天

堂内にある多くの棟札のうち,永禄十年(一五六七)のものは江刺市最古のものであるが,現堂宇は元禄五年(一六九二)の再建のもので代表社寺建築として平成三年岩手県指定文化財(建造物)となった。

由緒及び宝暦風土記に「嘉祥三年(八五〇)慈覚大師御作の刀八(兜跋)毘沙門天像を祭り開基」とある。棟札に吉祥山智福寺とあることから,古来羽黒派の修験寺が別当であったが,明治維新の神仏分離,修験道廃止によって,軻偶突智の神を祭神に愛宕神社として今日に至った。

トチ材の一木造兜跋毘沙門天像は,平安後期十一世紀の作といわれ,地天女の肩に立つ総高二三二センチの堂々たる像容と,顔面を除くほぼ全身に残る丸ノミの跡は日本屈指の鉈彫像として昭和三十四年重要文化財に指定された。

昔から王城鎮護の軍神,北方の守護神,庶民には福像の神として,今尚厚い信仰に支えられている。毘沙門天像が夷狄征服の目的をもつことろから胆沢城築城以後の陸奥国支配をすすめる上での守護神として北上川河東に造像され政情不安なこの地方の平安を祈ったものといえよう。

平成六年新築の収蔵庫にはほかに県指定文化財の毘沙門天三像(毘沙門天,吉祥天,善弐師童子)と,金箔を残す十一面観音の四体,市指定文化財の木像,木器等が保存されている。

江刺市・江刺市観光協会 電話35−2111


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