丸森山
丸森山山頂 岩手県遠野市
標高725m(山頂プレートは724.4m)
JR釜石線柏木平駅または鱒沢駅
早池峰バス小友線長野バス停
【写真】丸森山山頂
2012年4月28日
 614 JR水沢(JR乗車)
 735 JR柏木平(JR下車)
 809 蒻沢(こごみざわ)集落
 818 氷口峠入口
 834 鮎貝集落
 848 県道分岐
 905 角出林道分岐
 925 外山集落
 940 葉ノ木梅(養魚場)
1024~1035 丸森山
1047 林道分岐
1055 ヒルガ沢
1114 川原の広場
1154 藤沢橋
1215~1230 川原で休憩
1300 應瀧
1316 キッチが瀧
1330~1430 藤沢の滝農村公園
1449〜1459 長野バス停(早池峰バス乗車)
1515~1526 JR鱒沢(JR乗換)
1712 JR水沢

 昨年の残暑厳しい時期に大森山に登った。ほとんどヤブの中の行軍だったが道中東面の展望が望める場所がありそこには牧草地が広がっていた。種山ヶ原である。種山ヶ原と言えば宮沢賢治の作品で有名だし地元の人なら誰でもその名は知っている(国指定名勝である)。地形図上で種山ヵ原と記述されている場所は南は種山・西は大森山・北は丸森山で囲まれた標高約700mの県内では最大級の広大な高原である。今まで小生は種山と大森山に訪れたことがあるが種山ヵ原の中心部まで行ったことがない。次第に興味が湧いてきた。種山ヵ原の観光の対象としては星座の森、賢治詩碑がある。これらは種山ヵ原の南縁部にあたる。しかし大多数は国道沿いの道の駅(ここは種山ヵ原ではないのだが)に立ち寄る程度で種山ヵ原に行った気分になるのだろう。まして何も無さそうな種山ヶ原の核心部に行く人は林道マニアぐらいなもので皆無に近い。歴史をさかのぼれば源義経北行伝説の逃亡ルートは五輪峠→大森山→種山→姥石峠だから種山ヵ原を通ったことになる。また盛街道(現在の国道397号)は宮沢賢治が地質調査した頃は種山ヵ原を通過していたとのことである。
 いつの日か種山ヵ原縦走を実現したいがまずその下調べを兼ねて今回は種山ヵ原北縁にある丸森山を目指すことにした。近くに藤沢の滝という景勝地があるので帰路に立ち寄る予定を立てた。JR釜石線柏木平駅で下車。国道283号を横断し柏木平レイクリゾートに寄ってみた。時間的に早いこともあるしシーズンにも早いので人影は全くない。遠野麦酒苑から鱒沢やなへ下り猿ヵ石川の右岸沿いに進む。コテージランドではカタクリが見頃です、と記された案内板があった。猿ヶ石川に架かる落合橋を渡る。この先しばらくは小友川沿いに開けた土地を進む。建設中の高速道路(釜石自動車道)は小友川の盆地を高架橋で一気に飛び越えている。蒻沢・氷口・鮎貝と小友川沿いに集落が続く。春の陽光と里山の風景。氷口~鮎貝の間は車道を離れ川沿いの小道を進んだ。
 鮎貝で右折。橋を渡るとすぐ近くに神社がある。「遠野遺産47号・八坂神社と馬子繋ぎ」と記された案内板が立つ。東屋・休憩所・トイレがあって休憩には最適な場所だ。神社に参拝した後片側一車線の立派な道路を南に進む(この道路は県道174号で小友川の支流外山川に沿う)。旧小学校前を過ぎ数百メートル進むと道幅が狭くなり道が左に分かれる。ここで県道を離れ外山川右岸の道に入る。切伏集落を過ぎると外山川の狭窄部に入り平地や水田が途切れるが再び水田と牧草地の開けた場所に出た。車道沿いに集落が続く。この付近の新旧地形図を比較すると昔は近くに角出という集落があった事がわかる。しかし新しい地形図にはこの集落は記載されていない。廃村だろうか。
 養魚場の建物がある所から先は未舗装の道となる。この先民家は無い。道の右は牧草地、左は潅木林の中に外山川源流の細い流れがある。間もなく左前方に標高687mのこんもりとしたピークが現れる。目的地の丸森山直下の道はスイッチバック式に数回折り返しながら高度を上げる。道路脇に残雪がある。登山口を示す目印は見当たらないまま車道の峠付近に到達した。地形図によると山頂は峠から東方向にある。
 林の中に入る。アカマツ、クリ、カラマツの平坦な土地だ。その先に盛り上がったピークがありササが覆っている。そのピークが丸森山の山頂だった。山頂を示すプレートが3枚と三角点の標石がある。展望は樹木の枝間からしか望めないが南面の種山方面の見晴らしが良好だ。林床のササは薄いのでゴザを敷いて休憩できた。山頂に通じる道は見当たらない。
 車道に戻り峠を下る。次の目的地、藤沢の滝に向かうことにした。途中、林道が左右に横断する。地形図によるとここで左(東方向)の林道を進めば藤沢の滝上流の橋に到達するようだが大きく迂回しているため徒歩では時間のロスになると思った。ここでは直進し坂道を下っていく。ウグイスが間近で鳴く。間もなく沢に架かる橋に到達した。橋のたもとには「ヒルガ沢」と記された標柱が立っていた。ごく自然に考えるならばこの沢の名前はヒルガ沢なのだろう。地形図上では藤沢の滝の源流部となる。
 やっと標柱が現れたので何か見所でもあるのかと思ったが見当たらない。地形図ではこの付近からヒルガ沢に沿って細道が続いているがこちらも手がかりがつかめない。ここまで来てしまった以上引き返すのも大変なのでササをかき分けヒルガ沢の左岸に沿って進むことにした。沢の幅は2~3m、ササ原と細木の平坦な土地の中央を流れる。水量は豊富だ。下流に滝が連続しているとは思えないほど流れは緩やかだ。侵食作用による谷は形成されていないのでササ原の薮漕ぎの合間に沢のほとりに寄るのも容易である。起伏の少ない大森山・種山ヵ原を源流とする川の流れにふさわしいと思う。ササ原の中、所々に道らしき跡があり以前は道が通じていたことは確認できる。しかし現在は廃道だ。一帯の樹木は細木ばかりなので皆伐後の二次林である。
 ササを払いのけながら我慢の進行が続く。ところが突然沢沿いでササが茂っていない開けた場所に出た。ここは沢の流路が急変する地点で土壌が移動し易くササの根付きが悪いのだろう。多数のキクザキイチリンソウ、ニリンソウ、ギボウシの葉が広がり始めている。ちょっと開花時期には早い。しかし不毛のササ原から一転して春の花園が現れたので驚いた。ここまで来た甲斐があったと思う。下流にも同様な場所があることを期待したが結局無し。対岸には幾つかの沢が合流する。
 次第に左右の山が迫り谷底を進んでいるような感覚になる。山と沢の間のスペースが狭くなると歩行困難となりそうだと心配したが前方に橋が見えた。薮歩きももう少しで終わりと思うとほっとする。橋付近の川岸は平坦な場所が無く足元に注意しながら樹木にすがりつき斜面を横切る。この橋の欄干には藤沢橋と記されている(下流の藤沢集落にも同一名称の橋があった)。橋の上を未舗装の車道が通る。地形図ではあと数百メートル下流が藤沢の滝である。しかし特に標識などは見当たらない。車道をうろうろし沢沿いに下りる道はないか探してみるがササ原のため見当たらない。幸い目標地は近くにあるので再度ササ薮の中を進むことにした。
 藤沢の左岸を進む。ササの生い茂る中に旧道の凹みが残っているのがわかる。適当にササの薄い方向、または沢沿いを進む。左手に急峻な露岩帯が迫りその直下を避けるため沢に下った。沢には平らな岩が多く腰を下ろして休憩するにはちょうど良い。ここで昼食休憩とした。少し下流には滝があるのだがこの時は気づいていない。そしてこの先は渓谷になるためササ薮は無い。やっとササから抜け出したので開放的な気分になった。
 休憩地点から下流に進むに連れて道と沢の高度差はどんどん広がっていく。最初は道が不明瞭なので沢の脇を下っていった。川岸には人が歩く空間がある。そこにキクザキイチリンソウ、エゾエンゴサク、ヒメイチゲが咲く。しかし最後は露岩で足の踏み場が無くなった。谷底から上を見上げると遙かに高い所に道が通じている。ここは引き返すしかない(やはり少し下流に滝があった)。
 道に戻って眼下を轟音を伴って流れる沢を見る。さっきまであの沢の脇を歩いていたと思うとぞっとする。途中道の路肩が崩れた場所があったが安全柵が設置されていた。このあたりまで来ると道は明瞭で一般的な遊歩道・散策コースの雰囲気となりほっとする。ふと沢の方を見ると樹木の枝間から應瀧が見えた。これまでも幾つかの滝があったが應瀧の落差とスケールは群を抜いている。少し下流に下ると應瀧直下に下る道があったので滝の直下まで立ち寄った。
 その先の遊歩道は崩落の危険があるため迂回路を通る。鉄パイプ製の階段を下り藤沢の激流を橋で渡る。対岸(右岸)の岩場に渡り再び階段を昇り左岸に戻る。不安定なパイプを頼りに激流を渡るのでバランスを崩さないように集中する。緊張する場所だった。道は作業車が通行可能な道に変わった。沢から少し離れた内陸寄りを通っている。小生はこれで滝の見所は終わったのだろうと思った。後はまっすぐ下るだけだ。下っているうちに沢側に平行して遊歩道が通っていることに気づいた。引き返し遊歩道を通ってみる。こちらは滝の間近を抜けるコースだ。各滝の前に滝の名前が記入されたプレートが立っている。キッチが瀧など短い間隔で5つ程の滝が連続する。
 遊歩道の終点は藤沢の滝農村公園である。東屋、ミニステージ、トイレ、駐車場がある。ミニステージの板の間に横になって休憩した。アカマツ、クリ、カラマツの木陰が気持ち良い。持参してきた地形図を見ながら今日の行程を振り返る。本日は種山ヵ原の南縁を通ってきた。期待通り色々な発見があった。まだ未知の箇所が多いので今後も訪れてみたいと思う。1時間ほど休憩した後、車道を歩き国道107号交差点近くにある長野バス停で帰路のバスを待った。

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