銚子山
岩手県奥州市江刺区
標高365m
奥州市営バス伊手線岩明下車
【写真】銚子山
2011年4月30日
 755 水沢駅前
 815〜832 江刺病院バス停
 855 岩明バス停
 915 銚子山作業道入口
 958 銚子山山頂
1012 銚子山作業道入口

 東日本大震災そして最大余震の震度6弱を経て一層山歩きのような野外活動の行動範囲が狭まってきた。特に痛手なのは小生の自宅近くにある小谷木橋(国道397号)・藤橋(国道343号)が余震の影響で通行止めになったことだ。従って市街地から北上川の東岸に向かうには大迂回を強いられる。心理的にも余震の警戒から外出は控えようと縮こまってしまう。この状況の中で身の丈にあった余暇として浮上したのが文献※1記載の山々を訪れることである。ほとんどが市内またはその近隣の山なのだが登頂したのは半分に満たないのでこの機会に訪れてみたいと思う。一方登山の対象となっている山は少ないので登山道は無く情報も無い山が多い。自力で地図を解読し情報を集めることが必要となるので一般の登山に比べ苦戦することもあるだろう。
 今回の目的地は銚子山。安易な気持ちで文献※1を眺めながら最も容易に到達できそうと感じたからだ。県立江刺病院で奥州市営バスに乗り換える。江刺市街地を抜け奥州藤原氏ゆかりの豊田館から県道156号に入る。この県道は地震による損壊のため大型車は通行止めとなっていて藤里地区でバスは一旦国道397号まで迂回する。車窓から江刺南中学校とその背後に銚子山の端正な三角形の姿を望むことができる。岩明(いわき)バス停で下車。以前この地を訪れたのは10年前の阿原山登山の時である。当時と比べると国道397号が改良され随分近代化された。
 岩明の交差点から江刺南中と保育園のある北方面に進む。300m程で東に分岐する細道(舗装道)に入った。特に登山口の標識は無い。坂道を上っていくと江刺南中の北側にある牧草地脇を通る。沿道にタチツボスミレ、オクノカンスゲなど。しばらく進むと銚子山作業道の標柱があって未舗装の道が分岐する。その作業道に入る。再び左手に牧草地が広がる。少し進むと作業道にロープが張られていてこの先車両通行止めのようだ。この地点から山側に細道が続いているので入ってみた。樹木の赤ペンキが目印となる。細道に並行して小沢が流れカタクリがぽつりぽつりと咲く。樹木はアカマツが主体でクリ、コナラなど。左手は樹幹越しに牧草地が見える。小沢の水量が次第に乏しくなったところで沢から離れ木々をかき分けながら歩きやすい所を進んでいく。思いがけず昔の作業道(車両が通行した跡がある)に合流しほっとしたがこの道も細木が茂りはじめ自然に帰る途上であった。作業道から上を見上げると山頂域へはひと上り必要なようだ。谷と尾根と斜面の傾斜とアカマツの密度からこの辺りなら登れそうな場所を見つけ斜面に取りかかることにした。
 谷から登り始め尾根に出た。傾斜はきつく息が切れる。主稜線はもうすぐだ。主稜線に出ると勾配は緩やかになった。うっすらと踏み跡がある。北に続く尾根道を進むと間もなく山頂広場に到達した。広場は南北に細長く50m X 15m位の広さがある。東端の一段低い場所に神社があった。神社の周囲のみスギが植えられている。山頂広場はアカマツ林で展望は利かないが密生していないので光線が入り明るい。林床一面マイズルソウの葉で埋め尽くされ花のつぼみを付けている。展望は無いが静かで雰囲気が良い山頂だ。三角点を探すために広場をうろうろしたが見つからない。地形図にも三角点の記号は無いので元々三角点はないのかも知れない。山頂を示す標柱も見当たらなかった。
 山頂から北に続く尾根にも踏み跡が続いているが、下山は来た方向と同じ南側の尾根を下ることにした。最初のうちは緩やかな稜線を下っていたが間もなく勾配が急になりアカマツの密度が濃くなってきて次第に進行が遅くなってきた。密度が薄い方を選び下っていくが容易に突破できそうにない。ふと下の方を見ると樹幹越しにビニルシートが見えた。シイタケ栽培か何かであろう、それなら作業道が続いているはずだと思い下っていくとやはり作業道が見つかった。尚、ビニルシートは松食い虫の処理木を覆っているものであった。銚子山域に同様のものは幾つか見かけたので被害は多いのだろう。
 荒れた作業道を進んでいくうちに別の作業道と合流した。作業道にロープが張られている場所があってこの場所は見覚えがある。往路で通った道に戻ったことに気づいた。往路はここから小沢沿いに登っていった。その後は往路と同じ道を通り岩明に向かう。続いて近くにある前田山を目指した。

参考文献
※1「再発見 胆江地方から見える山々」及川慶志著 胆江日々新聞社2000年4月発行

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